平塚らいてう 女性解放運動の立役者
平塚らいてう 女性解放運動の立役者
平塚らいてうは、歴史の教科書にも登場してくる女性解放運動の立役者です。
平塚らいてうの「元始、女性は太陽であった」という言葉はとても知られています。
「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、ほかの光によって輝く病人のような蒼白い顔の月である」
職場での女性の地位が低い世の中に、女性の自立を目指したのが平塚らいてうですが、明治44年女流文学社 青鞜社を結成しました。
この「青鞜」という言葉の由来ですが、18世紀のロンドンに、女性たちを中心に文学や芸術を語り合うサロン「ブルーストッキング」の和訳と言われています。
そうして女性解放運動をリードし、のちに市川房江さんらと新婦人協会を結成して、女性の政治活動の自由を要求したりと活躍した人物です。