鯉党宣言~カープと雑学ネタ

カープファンが野球、愛犬(Mダックス)、好きなアーティスト(BEGINメイン)など興味ある情報を発信しています

カープファンを泣かせるキムタクの話題

カープファンが聞くと思わずしんみり
 
木村拓也さんが亡くなって
いろいろな報道を見聞きしていますが、
またカープファンの私が読んで、ほろっと涙をしてしまうニュースが1つ。
 
【広島カープブロクがいっぱい】
キムタクの話題が皆さん続いています
 
カープの監督になって欲しかった
キムタクの地元の関係者の言葉として紹介されています
キムタクはお父さんに「1度は監督をやってみたい」と言っていたそうで、
その話を知る関係者がいくいくは「カープの監督になって欲しかった」とコメントされています。
 
いつかは広島に戻ってきてほしかった
 
カープ松田オーナーのコメントです
このニュース、しんみりして仕方ありません。
 
もう一度見たかったです
カープのユニフォーム姿の木村拓也
イメージ 1
<コイバットさんからご提供>
 
 
夕刊フジから転載】

木村拓コーチ父に語った大きな夢「監督になりたい」

★脇役に徹した男が残したでっかい功績

くも膜下出血で倒れ、7日に37歳の若さで死去した巨人の木村拓也内野守備走塁コーチ。19年間の現役生活では“スーパーサブ”として脇役に徹したが、ひそかに抱いていた大きな夢があった。

7日の阪神戦(甲子園)前、ユニホームに喪章をつけた巨人ナインと原監督、コーチ陣は木村拓コーチが現役時代に主に守った二塁手の定位置付近で円陣を組み、黙とう。試合では3回、甲子園で初本塁打を放った小笠原が「タクさんが力を貸してくれたと思う」としみじみと話した。

そんな人望厚い木村拓コーチが倒れた翌日の今月3日から2日間、巨人がキャンプを張る宮崎市の県総合運動公園内で、大規模なソフトボール大会が開かれた。「木村拓也・ビータスヒーローズクラブ旗争奪大会」。木村拓コーチの名前を冠するようになって5回目。故郷の宮崎県田野町(現在は宮崎市に合併)の町議を長年務めた父・茂夫さんが大会会長である。

毎年、木村拓コーチがサインボール、サイン色紙などを賞品として提供。今年の最優秀選手賞の賞品は、新たな背番号「84」が書き込まれたサイン入りバットだった。

大会副会長の宮脇晴光さん(61)は、「名前を冠し、賞品を提供していただいたことは、子供たちにとって大きな励みでした。お父さんの意向次第ですが、来年以降もずっと拓也さんの名前を残したい」と話す。さらに、こんなエピソードも明かしてくれた。

 「拓也さんはお父さんらに『1度は監督をやってみたい』と語っていたそうです。私個人としては、巨人のコーチとして修行し、いつか(約11年半在籍した)広島の監督になってほしかった。真面目で人望もあり、可能性は十分あったと思う」

 木村拓コーチの自宅は広島市内にあり、広島の松田元(はじめ)オーナーは「巨人でコーチをして、いつかは広島に戻ってきてほしかった」と沈痛な表情で話した。

 故郷・宮崎で野球の裾野を広げ、プロでは縁の下の力持ちに徹した男のひそかな夢はかなわずに終わったが、残したものは大きい。
 
【広島カープブロクがいっぱい】